ことばパティオ

第6回 「これまでの5年。これからの5年」

植村八潮(うえむら・やしお)

編集者・出版学者

2005年7月7日

 早いもので21世紀の幕開けとともに始まった『三省堂 Web Dictionary』サービスも5年目に入った。春には2回目のサイト・リニューアルを行っている。20世紀末に登場したインターネットは膨大な情報と可能性を生みだし、夢想的とも思えた未来予測を現実化させてきた。そう、ネットは21世紀の扉を開ける役を演じたのだ。それからもう5年。

 「インターネットの情報は玉石混合」といわれ続けたのが20世紀最後の5年間ならば、信頼にたる情報が入手できるようになったのが21世紀初頭の5年間である。その一つとして、最新の辞書がいつでも使えるウェブ辞書検索サービスがある。

 この5年間で、いつも持ち運んでいるサブノートは3台目となった。同時に会議室やキャンパスでの無線LAN環境も普及してきた。会議中にわからない言葉に出会ったら、キーボードに向かいながらウェブ辞書を引くことは習慣となった。パソコンがなければIC型電子辞書を使うが、ネットにつながっていれば一つの言葉にいくつもの辞書を利用して調べることもできる。人生でこんなに気楽に多種類の辞書を引いていた時期はあるだろうか。

 高校生の頃、カバンは辞書と教科書でいつも重かった。それで世界史など特に厚い教科書は針金綴じをばらし三分冊にした。表紙を付け書名をレタリングしたところ、なかなかの出来映えだった。学校に持っていったところ友人の間で評判となり、コーラ1本で何冊も製本を請け負った。愛書家の父親には嘆かれたが、息子は読書より本作りが好きだったのである。長じて編集者になったが、今でも本は読むことより“造り”が気になるタイプである。

 閑話休題。重たい理由の一番は辞書である。

 英和、和英、国語が三大辞書で、高校ではこれに漢和辞書が加わることになる。まじめな学生は何冊も辞書をカバンに入れていたが、辞書だけは分冊にするわけにもいかず、怠け者だけに和英と国語辞書を学校に置きっぱなしにし、英和辞書だけを持ち歩いていた。

 おそらく今の高校生たちはIC型であれウェブであれ、いわゆる“電子辞書”を使うのだろう。特にセンター入試に英語ヒアリング導入が決まってから、高校生の間でも利用に弾みがついたようである。電子辞書の普及期によく耳にした「電子辞書は学習に向かない」といった批判も、最近ではあまり聞かれなくなった。

 確かに横断検索、スペルチェック、音声などの機能に加え、辞書点数の割に値頃感もあり、さらにウェブ辞書ならば辞書データも随時更新されている。市場規模も大きく電子辞書は印刷辞書に勝っているかのようである。ただし電子辞書と印刷辞書の優劣を比較するのは、そう簡単ではない。そもそも二者択一的な関係ではないのだ。

 僕の高校時代の英語教師は、辞書は使い込むほど自分の一部となり「探している単語は常に一回で開ける」と豪語していた。このような辞書の肉体化が印刷辞書信仰を形成し、教育現場での否定的なとらえ方につながっていたのだと思う。マクルーハンがメディアを身体拡張としてとらえたのは人口に膾炙しているが、一方でメディアは知識の肉体化でもあるのだ。

 印刷辞書は利用目的や読者対象などにより、かなりの種類点数がある。それぞれが読者のニーズに合わせて市場を分け合っている。それが紙の本が持つ多様性の反映でもあった。ところが電子辞書に搭載される辞書ブランドは、それよりはるかに少ない数点のガリバー寡占である。デジタル化の特長でもある平準化、均質化は市場を寡占化し、本の多様性を読者から奪ってしまった。

 最近の電子辞書研究によると、電子辞書を用いた学生は単語にたどり着く時間は早いが第一義の意味だけを読むことによる誤答率が高まるという。また僕が行った大学生のメディア行動調査でも印刷辞書と電子辞書は、意外なことにかなりの率で使い分けられている。パソコンとネットを使いこなす理工系学生でも、アンダーラインを引いたり、使いこなすにしたがってカスタマイズできる印刷辞書の魅力を語っていた。「印刷辞書はマイ・ディクショナリーになりますから」という発言が象徴的だった。生まれたときからデジタル機器に囲まれて育った今の学生でも、メディアの本質を見抜き使い分けているのである。

 電子辞書が検索性で印刷辞書より優れていたとしても、当然、失うものもある。デジタル化が進んだ辞書をケースに紙メディアの優位性にも注目しておく必要がある。その上で電子辞書である。辞書開発は後戻りすることのなくデジタル化の道を進んでいる。今は多様なメディアを使いこなす時代なのである。