ことば百科

日常語の語源

【あ行】

愛嬌| 匕首| 挨拶| 相づち| 相棒| 阿吽| 青田買い| 暁| あか抜ける| あぐら| 揚げ足を取る| あげく| あこぎ| 明日| 足を洗う| 当たり前| 圧巻| あっけらかん| 当て馬| あばずれ| あばた| 油を売る| 有り難い| 安心| 暗中模索| あんばい| 許婚| 威儀| いざ鎌倉| いたちごっこ| 板につく| 一か八か| 一期一会| 一大事| 一枚看板| 一目置く| 一蓮托生| 一所懸命| 一張羅| 一点張り| いびつ| 因果| 引導| 浮足| 浮世| 有卦に入る| 烏合の衆| うだつが上がらぬ| 打ち合せ| 内幕| 有頂天| 海千山千| 裏付け| 裏目に出る| うるさい| 上前をはねる| 江戸前| 縁起| おあいそ| 鷹揚| 大げさ| 大立者| 大詰| 公| 大わらわ| おかず| 岡目八目| 奥方| お蔵になる| おけらになる| おじゃんになる| お茶の子| 億劫| お年玉| おはちが回る| お払い箱| おむつ| 面白い| 親玉| 折り紙付き| 御曹司|

愛嬌(あい‐きょう) にこにこしてかわいらしいこと。仏教に由来することばで、仏様の顔だちがおだやかで恵み深いことをいい、だれからも愛され敬われる顔かたちや表情にいったものである。「あいきょう」と清音で読むようになったのは江戸時代に入ってからのことらしいが、本来は「愛敬」と書いて「あいぎょう」と読んだ。
匕首(あい‐くち) つばのない短刀のこと。もともと「合口」で、つばがないから柄(つか)の口と鞘(さや)の口がぴったり合う意から来ている。「匕首」は、中国で短刀を意味する「匕首(ひ‐しゅ)」を借りて当てたもの。
挨拶(あい‐さつ) 人と会ったときなどにするおじぎや、そのときに言うことば、あるいは会合や儀式などで、改まって述べることば。「挨」も「拶」も押すことで、押し合う意から来ており、元来は禅宗の仏教用語で、問答を交して相手の悟りの理解度を試みることを意味した。
相(あい)づち 漢字では「相槌」と書き、建築用の大きな木槌(き‐づち)のことだが、鍛冶(か‐じ)では、師と弟子が向かい合って交互に焼いた鉄を槌で打つことを「相づち」または「相づちを打つ」といった。そこから転じて、一般に相手の話の調子に合わせて、同意を表すことばを挟むことをいう。
相棒(あい‐ぼう) 仕事仲間・遊び仲間など、いっしょに物事をする相方(あい‐かた)をいう。元来は駕篭(か‐ご)や畚(もっこ)は、一本の棒を通してその棒の前後の端を二人で担ぐことから、いっしょに棒を担ぐ相手の者をいった。
阿吽(あ‐うん) 梵(ぼん)語〈サンスクリット〉の文字である悉曇(しっ‐たん)の字母の初韻の「阿(a)」と終韻の「吽(hum)」。最初と最後を意味し、また、阿は万物の根源、吽は一切が帰着する智徳を意味し、密教の宇宙観を表している。また、阿が呼気で、吽が吸気であることから、両者が息を合せることを「阿吽の呼吸」といい、複数の人間が共通の事を行うときに一致する微妙な調子や気持ちを表していう。寺院の狛犬(こま‐いぬ)に象徴される阿吽は、左が阿で右が吽である。
青田(あお‐た)買い 稲がまだ未成熟で、田がまだ青々としている時期に、収穫量を見積もって先物買いすることをいう。一昔前のことばであるが、今では転じて、企業が優秀な人材を確保するために、決められた新入社員採用期間よりも早く、卒業見込みの学生や生徒の採用を内定してしまうことをいう。「青田刈り」ともいう。
暁(あかつき) 夜の明けるころ。夜明け方。転じてある物が実現した際の意。このことばは古語のあかとき(明か時)から来たもの。これは一番鶏が鳴くころであり、現代の空が明けはじめるころよりだいぶ早い時刻にあたり、宵、夜中に続く明ける少し前の未明をいった。あかときづくよ(暁月夜)・あかときやみ(暁闇)ということばがあるくらいである。
あか抜ける 「垢抜ける」と書き、垢が抜けてさっぱりとする意から、気がきいている・粋である・洗練されている人物を形容することば。また、「あか」は「垢」ではなく「灰汁(あ‐く)」のことで、灰汁の強い野菜などの灰汁抜きの音が転じたものともいう。
あぐら 「胡床」または「胡座」と書き、「あ」は足の意、「くら」は座の意で、足を組んだかっこうで床に座ることをいう。元来は大陸から渡来した貴族の用いる腰掛をいい、また、古代より「あぐら」が床に座る正式な座り方であった。が、茶道が普及し、正座が正式な座り方とされたのち、江戸時代になって正座に対して楽な座り方という意味で「あぐらを組む」「あぐらをかく」というようになった。
揚(あ)げ足を取る 柔道などで、相手が蹴(け)ろうとして揚げた足を取って、逆に相手を倒すことをいい、転じて、相手の失言やことば尻(じり)をつかまえて、皮肉ったり言い込めようとすることをいう。単に揚げ足といえば、リラックスした姿勢をとるために、片方の足を曲げて、もう一方の足に乗せること、あるいはその足のことをいう。
あげく 五・七・五・七・七句で構成される短歌合作(短連歌)、あるいは五・七・五の長句と七・七の短句を連ねていく長連歌などの連歌で、最初の句を発句(ほっ‐く)といい、最後にくる七・七の句を「挙げ句」という。転じて、結局・とどのつまり・ついになどの意で、「挙げ句の果て」などと使われる。
あこぎ 貪欲(どん‐よく)で無情なさま、強欲であくどいさまの意。今の三重県津市に位置する阿漕ヶ浦(あ‐こぎ‐が‐うら)の略。古くは伊勢神宮の御領で禁漁区だったが、密漁者が絶えなかったため、密漁もたび重なると勘弁しないぞ、という意味から、悪事を重ねることを「阿漕」というようになった。
明日(あした) 古代における時の表現法のうち、夜を基準とした「ゆうべ」「よい」「よなか」「あかとき」の次に当たる最後の部分を「あした」といい、昼を基準にして表した「あさ」「ひる」「よる」のうちの最初の部分と一致する。すなわち「あした」は「あさ」を意味することばで、「明け方」の古い言い方。しかし、夜中・暁の次に来るのが「あした」でもあり、次第に「翌朝」から「次の日」を意味するように転じていった。
足を洗う 今では単にある職業をやめたり、商売替えなどの意に用いられるが、元来は、賎(いや)しい仕事から抜けて堅気な生活に入る、悪い所業を改めてまじめになることをいった。
当たり前 当然。ごく普通のこと。ありふれていること。古く、漁や狩りなど共同作業をした場合、それぞれの集団では何らかの方法で各人の分け前を決めていたものである。当たり前とは獲物からその一人一人が受け取る取り分のこと。当然分配されるべくして分けられるのだから、当たり前を受け取るのがすなわち当たり前となった。
圧巻(あっ‐かん) 書物や催物の中で最もすぐれた部分、あるいは他にぬきんでた詩文をいう。漢語に由来するもので、「巻」は試験の答案の巻き物をいい、中国の官吏登用試験で、一番上に最もすぐれた答案をのせたところから、他を圧する巻き物の意。転じて、「すごい」意のほめことばに用いる。
あっけらかん ことの意外な成り行きにあきれて、ぽかんとしたさまをいう。また、近年ではものに動じずけろっとしているさまをもいう。語源的には、口をぽかんとあけた様子から、口をあける「あけ」に由来するといわれる。あけらかん、あけらぽんとも。
当て馬 一般社会では、本命を牽制(けん‐せい)するために様子見で推される人間を当て馬という。もともとは牝馬(ひん‐ば)の発情を検査したり促すためにあてがわれる牡馬をいい、血統のすぐれた高価な種馬の種つけの前座に使われたりする。
あばずれ 悪く人ずれのした者、すれっからし、あつかましい者、ずうずうしい者、なまいきな者などを称して「あばずれ」といい、多くは若い女性にいう。語源は古く、浮ついた様子をいう「淡(あわ)し」が重なった「あわあわし」が、人にもまれてずるがしこくなった「あわすれる」に変化し、「あばずれ」になったもので、平安時代の宮仕えの女房社会ですでに使われていた。「阿婆擦れ」と漢字を当てる。
あばた 「痘痕」と書き、痘瘡(とう‐そう)〈天然痘〉が治った後に残るきずあと。僧侶(そう‐りょ)間の隠語ともいう。語源は、腫(は)れ物・水疱(すい‐ほう)・汚点などの意味がある、梵(ぼん)語〈サンスクリット〉のアルブダ(arbuda)の音写語が訛(なま)ったもので、「あばたもえくぼ」などのように、醜いもの・欠点の代名詞のように用いられている。
油(あぶら)を売る 仕事の途中で時間をつぶしたり、むだ話に時を費やしたりすること。江戸時代、髪油売りが升(ます)で量り売りする際、油が升から落ち切るのを気長に待つあいだに、かみさんたちとむだ話にふけったようすをもじって、当時から要領よく仕事をさぼる者をさしていった。
有り難(がた)い 感謝の意を表すあいさつのことばに「有り難う」があるように、人の親切や好意に対して、感謝したい気持ちをいう。「有ることが難しい」の意から、「まれだ」の意になり、まれなものは貴重であり尊いから「感謝する」の意になった。生きにくい世の中なのにいま生きている。生きているのではなく、生かされているのだ。だから感謝しよう、という仏の教えから来ていることば。
安心 心配がなくなり、心が安らいでいる状態をいう。不安や心配事のない心持ち。安心立命というと、仏教語の「安心」と儒教の「立命」を合せた語で、仏法によって心の平和を得、身を天命に任せ、心が動じないこと。仏教語では「あんじんりゅうみょう」と読み、安心も「あんじん」と読めば、阿弥陀(あ‐み‐だ)救いを信じて往生を願うことで、仏教から来たことば。
暗中模索(あん‐ちゅう‐も‐さく) 手掛かりのないものを手探りで探ってみることをいう。唐の許敬宗(きょ‐けい‐そう)という傲慢(ごう‐まん)な男は、人に会っても、すぐ忘れてしまうことが多かった。ある人がこれを指摘し、前代の有名な人に会うような気持で接すれば、暗い中で手探りするようでも、やがては相手の名が覚えられますよ、と言った。『隋唐嘉話(ずい‐とう‐か‐わ)』中の故事から転じて、逆の意味になったもの。
あんばい 「塩梅」と書き、「えんばい」の読みが転じたもので、塩と梅酢を意味する。すなわち料理の味を調味料である塩と梅酢で調えることをいう。転じて広く味加減を調えることをいう。また、「あんばい」は、体の具合、物事をほどよく処理する意などにも用いられるが、こちらは本来「按排」「按配」と書き別のことばであったものが、意味と音の類似から、混同して使われるようになったもの。
許婚(いいなずけ) 「許嫁」とも書く。両方の親同士の合意によって幼少の時から婚約関係にある二人をいう。政略結婚が盛んに行われた中世武家時代に習慣化したもので、語源的には「結納づけ」(「つけ」は手付けの「つけ」と同意)が「言い・名付け」に転化したものとされる。
威儀(い‐ぎ) いかめしい挙動、重々しい行動、あるいは作法に叶(かな)った立ち居ふるまいをいう。仏教に由来し、本来は戒律にのっとったふるまいをいった。戒律とは僧社会での生活規律で、「戒」は自発的に規律を守ろうとする道徳感、「律」は出家者へ与えられる規律をいう。
いざ鎌倉 大事が起きたときをいうことばで、謡曲「鉢木(はち‐のき)」に登場する一節に由来する。鎌倉時代、すでに執権職を辞した北条時頼(とき‐より)が僧侶に身をやつして諸国を視察し、落ちぶれた武士のあばら家に一夜の宿を求めたおり、その武士が身の上を語り、落ちぶれても鎌倉幕府の一大事には必ず馳(は)せ参じると言ったという話から出たことば。のちに「いざ鎌倉」の召集がかかったとき、もちろん駆けつけたという。
いたちごっこ 同じことを繰り返すばかりで双方にとって無益な行動・争いをいたちごっこという。二人が互いに相手の手の甲をつねりながら自分の手を相手の甲の上にのせ、「いたちごっこ、ねずみごっこ」と言いながら、交互に繰り返す子どもの遊びから。
板につく 仕事ぶりや服装、立ち居ふるまいなどがその場やその人に馴染(な‐じ)んでしっくりしてくるさまをいう。「板」は舞台のことで、元来は、経験を積んだ役者がしっかりと舞台に立ち、その芸も舞台にしっくりと調和しているさまをいった。
一か八(ばち)か のるかそるか。運を天にまかせて思いきってやってみること。博奕(ばくち)から出た語といわれる。一説に丁か半かの「丁半博奕」の字の上の部分を抜き出したもの、また一説には「一か罰か」で、さいころ博奕の一がでるかそれともだめか、という意からともいう。
一期一会(いち‐ご‐いち‐え) 「一期」は生まれてから死ぬまでの一生涯のこと。「一会」は儀式・法要などに一度集い合うこと。すなわち一生涯に一度の大切なめぐり合いをいう。茶道から出たことばで、千利休の弟子の山上宗二の著に、「一期に一度の会」とあり、また幕末の大老井伊直弼(い‐い‐なお‐すけ)の茶の湯に関する書『茶湯一会集』には、文字通り「一期一会の湯」ということばが出てくる。
一大事 重大な事態や事件をいうが、もとは仏教から出たことばである。「一大事因縁」の因縁を略したことばで、仏(お釈迦(しゃ‐か)さま)がこの世に現れた最も大事な因縁、すなわちすべての生きとし生けるものを救済するという大目的をいう。
一枚看板 劇団の主演役者あるいは一般社会で団体や組織の中心人物をいう。起こりは上方歌舞伎(か‐ぶ‐き)で、芝居小屋の前に飾った、外題(げ‐だい)または主な役者名を描いた一枚の大看板をいったもの。江戸では「大名題(おお‐な‐だい)」といった。
一目(いち‐もく)置く 自分よりすぐれている者に対して敬意を表し、一歩譲って接する態度をいう。もとは囲碁から出たことばで、弱い打ち手のほうがハンディとして「一目」先に置かせてもらってから勝負を始めたことからいう。
一蓮托生(いち‐れん‐たく‐しょう) 運命共同体として行動を共にすることをいう。現在では、よきにつけあしきにつけ用いられ、むしろ悪い意味で多く用いられるが、元来はよいことのほうに用いられた仏教語。念仏信者が死後、共に極楽へ行って、同じ蓮華(れん‐げ)の上に生まれ変わることの意。
一所懸命(いっ‐しょ‐けん‐めい) 物事を必死にすることをいう。現在では「一生懸命」が通常用いられるが、元来は「一所懸命」。昔、武士が、賜った自分の唯一の領地を、命懸けで守ることをいった。
一張羅(いっ‐ちょう‐ら) 「羅」はうすぎぬの意。自前の衣装の中で唯一の上等な服、晴れ着をいうが、その語源は「一挺(いっ‐ちょう)ろうそく」から来た。中世、ろうそくは非常に高価であったために、客をもてなすにも一本のろうそくしか買えず、それが燃えつきてしまうと惨めな思いをすることになる。そんなさまを言い表したのが「一挺ろうそく」、それが訛(なま)って「いっちょうら」になり、のちにたった一枚の晴れ着しか持てない惨めさの意で転用されたもの。
一点張り(いっ‐てん‐ばり) 一たび決めて思い込んだら、他を顧みず、そればかりを押し通すことをいう。もともと博奕(ばくち)で用いられることばで、大損の危険を顧みずに、がむしゃらに同じところ(目)に賭(か)け続けることを「一点に張る」、つまり「一点張り」という。
いびつ 物の形が整っていないこと、また、心が歪(ゆが)んでいるさまをいう。「歪」と書くが、「飯櫃」の読み「いいびつ」が縮まったもの。飯櫃とは、炊いた飯を移す容器で、楕円(だ‐えん)形をしていることから、物の形が歪んでいるさまを「いいびつ」から転じて「いびつ」というようになった。
因果(いん‐が) 原因と結果の関係をいう。何らかの原因があってある特定の結果が生ずること。本来仏教語で、原因と条件の組み合わせによってさまざまな結果が生起することをいい、善因から善果が生じ、悪因から悪果が生ずるとする。一般には「親の因果子に報い」「因果が尽きる」などのように、悪業が生む不幸な結果をいうことがもっぱらである。
引導(いん‐どう) 引導とは導くことだが、「引導を渡す」といえば意味が逆転して、最終宣告すること。また、突き放すこと。仏教から来たことばで、生きとし生ける迷えるものを仏道に導くことをいう。また、それを儀式化したものが葬儀で死者を済度(さい‐ど)するために導師が法語を説く式で、これが本来の「引導を渡す」である。
浮足(うき‐あし) 足が地に着かず、そわそわと落ち着かないようす、また逃げ腰なさまを「浮足立つ」という。取引相場の用語で、値の変動が激しく流動的な傾向を浮足といい、その不安定な状態にたとえて、期待や不安が入り交じって、気分的に落ち着かないようすをいうことば。
浮世(うき‐よ) 世間、人生、享楽的な世界の意味でこの世をいう。中世までは、はかなく無常な世の中、極楽浄土に比べて生きることのつらいばかりのこの世の中を仏教的な生活感情で「憂世(うき‐よ)」といった。この憂世が、どうせなら楽しく生きようと考える江戸の庶民感情によって、浮世に変化したもの。
有卦(う‐け)に入(い)る 何事も順調にいく、幸運にめぐりあうことをいう。陰陽道(おん‐よう‐どう)に由来することばで、「有卦」とは七年間続く運の上昇期をいう。陰陽道は中国古来の陰陽五行説を基にして日本独自に発達した占術で、人の吉凶を十二年周期でとらえ、吉にあたる有卦の年が七年間続き、そのあとに五年間凶にあたる無卦(む‐け)の年が続くと考えたもの。
烏合(う‐ごう)の衆 「烏合」とは烏(からす)の集まりのこと。烏のように規律も統一性もないばらばらの集団、ただ群がっているだけの集団をいう。古来、軍勢について用いられてきたことばで、出典は『後漢書(ご‐かん‐じょ)』にある耿
うだつが上がらぬ よい境遇に恵まれないためぱっとしない、運が悪くて(出世などが)思うようにいかないことをいう言い回し。もともと建築用語で、棟木(むな‐ぎ)を支えるために梁(はり)の上に立てた短い柱を「
打ち合せ 物事の進行や段取りが順調にいくように、あらかじめ話し合っておくことをいう。もともと雅楽で用いられる音楽用語で、メロディーを演奏する笛などの楽器と、太鼓などの打ち物のあいだで、あらかじめ拍子を合せて合奏の練習をすることを「打ち合せ」といったもの。
内幕(うち‐まく) 外部には隠された内部の事情、内側の真実。昔、戦いで大将の陣取る軍陣には二重の幕が張られたが、そのうち外側の幕を外幕(と‐まく)といい、内側の幕を内幕といった。作戦がその中で練られたことから、「内幕」が内情を言い表すことばに転化したもの。
有頂天(う‐ちょう‐てん) 我を忘れて熱中しているさまをいうが、現在多くは天にものぼった気分で我を忘れ、得意の絶頂にいる者を皮肉っていう。もともとは仏教語で、梵(ぼん)語〈サンスクリット〉のバヴァーグラ(bhav
海千山千(うみ‐せん‐やま‐せん) せちがらい世の中の、裏も表も知り尽くしたしたたかな人物、老獪(ろう‐かい)で歯がたたない相手をたとえていうことば。海に千年、山に千年住んだ蛇は竜になるという昔からの言い伝えに由来する。海千河千とも。
裏付け 証拠、保証、証明などの意で、中世の商取引から来たことば。室町時代のころ、割符(さい‐ふ)〈今でいう手形〉の支払人は、支払う旨約束する保証として、割符の裏に期日を書き込んで裏判をするのが商慣習であった。これを裏付けといい、転じて証拠の意になったもの。
裏目に出る よかれと思ってやったことが、予想や期待とは逆の、思わしくない結果となることをいう。さいころ賭博(と‐ばく)から来ている博奕(ばくち)用語。さいころの一つの面の目とちょうどその裏側にあたる面の目との関係は、一の裏が六であるように、奇数と偶数の関係になっている。そこでたとえば「丁(偶数)」に賭(か)けて「半(奇数)」が出ると「裏目が出た」ことになる。
うるさい 「煩い」とか「五月蝿い」などと書く。梅雨どき(旧暦五月)の蝿のようにまとわりついて煩わしい、整いすぎていてかえって気に障る、あれこれと口やかましくて嫌気がするなどの理由で、外部に対して心を閉ざしたくなる気分をいう。古代より使われていることばで、語源には諸説あるが、「うらさし」が訛(なま)ったものという説が有力。「うら」は表に見えないものの意で心を表す古語、「さし」は「狭(さ)し」で、心の狭いようすをいった。
上前(うわ‐まえ)をはねる 賃金や代金などを仲介料・手数料などの名目で第三者が取り上げること。また他人の利益の一部を(勝手に)自分のものにしてしまうこと。「上前」は「上米(うわ‐まい)」のことで、上米とは、江戸時代に神社などが自分の領地を通過する年貢米の一部を寄進させたもので、いわゆる通行税。この「うわまい」が「うわまえ」と混同して、現在の言い方になったもの。
江戸前 江戸風、東京風の意。もともと江戸の前面の海、すなわち今の東京湾、芝・品川沖の海をいい、当時漁業が盛んで、ここで捕れる活(い)きのいい魚を江戸前産と称して江戸っ子たちに賞味されていた。その名残を今に伝えることば。
縁起(えん‐ぎ) 物事の吉凶の前兆。きざし。前ぶれ。本来は因縁とか由来をいう仏教ことば。よきにつけあしきにつけ、因縁によってあらゆる事象が生起しているという考え方に基づく。ここから仏の説法や寺のできた由来などを書きしるした文書をも縁起というようになった。
おあいそ 「お愛想」と書く。小料理屋など主に酒を供する店で、勘定をする際に、客の側から申し出るあいさつ、また、その勘定書き。もとは店の側が気を遣って、「まことに愛想づかしな話ですが……」という意味で、勘定書きを「愛想づかし」といったもので、のちに逆転して、客の側から「お愛想」というようになったという。
鷹揚(おう‐よう) ゆったりとして落ち着いているようす、また、おおまかで小さなことにこだわらないようすをいう。文字通り、鷹(たか)が空を悠々と飛ぶように、自信に満ちて、おおらかに構えているようすをいう。
大げさ 実際よりも誇張して、必要以上にものものしく見せるさま。平安時代末期から鎌倉時代にかけて、栄西(えい‐さい)が臨済宗を伝え、日本各地に禅が広まったとき、禅僧たちは大きな袈裟(け‐さ)を着て町をのし歩き、その説話は耳慣れぬ者や旧仏教徒には実におおぎょうに聞こえたところから、禅を非難する意味合いで「大げさ」といったものといわれる。
大立者(おお‐だて‐もの) 一般にその社会で、大きな権力を握り、最も重要な立場にある人物をさしていう。元来は歌舞伎(か‐ぶ‐き)用語で、座頭など一座の中で最も技量のすぐれた中心俳優をさしていった。また、「大立物」と書くと、兜(かぶと)の立物(威容を盛んにするための飾り付け)のとくに立派なものをいい、そこから「大将軍」のことをいうようになった。
大詰(おお‐づめ) 物事の最終段階をいう。歌舞伎(か‐ぶ‐き)に端を発することばは多いが、「大詰」もそのひとつ。もともと歌舞伎の一番目狂言の最終幕をいった。ちなみに二番目狂言の最終幕は大切(おお‐ぎり)。やがて一般に芝居の最終幕をいうようになり、さらに転じて、広く物事の終局を意味することばになった。
公(おおやけ) 私的に対して公的なこと全般を公という。もとは大家(おお‐やけ)で大きな家の意。大家の主の天子を貴んでいうことば。ここから朝廷や官庁あるいは時の政府のことをさすようになり、また、公共的なこと一般をさすようになった。古語に公腹(おおやけ‐ばら)ということばもあり、これはいまでいう公憤・義憤のことである。
大わらわ 事にのぞんで一生懸命に活動するさま、あるいは夢中になって物事に対処するさまをいう。「大わらわで結婚式の準備をする」などと使う。「童」は元服前の子どものこと。明治以前、子どもはおかっぱ頭にしていた。一方、大人は髪を結っていたが、忙しく働きまわると髪がざんばらになって大きな子どものようになることから、「大童」といわれるようになり、これが転じて現在のような意味になった。
おかず 「御数」と書く。日常の食事の副食物。お惣菜(そう‐ざい)。文字通り、数を揃(そろ)える意から来た女房ことば。女房ことばとは、古代から中世にかけて宮仕えの女官が用いた、衣食住や日常の用具に関するものを言い表す一種の隠語。
岡目八目(おか‐め‐はち‐もく) 冷静に観察している部外者の方が、当事者よりも状況の判断、先の見通しなどがよく分かる、というたとえ。囲碁から出たことばで、「岡目」の岡は、部外者を表す「傍(ほか)」で、つまり部外者の目。「八目」は八目先まで読めることで、実際に対局しているときよりも、他人の囲碁を傍らで見ているときの方が、戦局がよく読める、ということ。一説には、「岡目」は、岡に登って遠望することだともいう。
奥方(おく‐がた) 他人の妻をいう尊敬語。もっとも上流階級の夫人にしか用いられない。なぜならその語源は平安時代の女房ことばにまでさかのぼるが、当時、貴族の正妻は寝殿の裏の(北方の)奥御殿で生活するのが普通で、そこから身分の高い人妻を「北の方」とか「奥方」とか呼ぶようになったためである。
お蔵になる 興行や演目などの企画案が中止になること。お蔵にしまいこむ意から来ているという説と、無事に楽(らく)(千秋楽)までいかずに、中途で終わることから、「らく」を逆さまことばにして「くら」だという説がある。
おけらになる (博奕(ばくち)などで)持ち金を使い果たして、無一文になること。直翅目(ちょく‐し‐もく)ケラ科の昆虫ケラに由来することば。地中に穴を掘って巣を作るが、土を掘る前足は短くて、前から見ると万歳をしているように見えることから、「お手上げ」を連想して「おけら」というようになったもの。
おじゃんになる 物事がだめになること。計画などが不成功に終わること。火事の時に打ち鳴らす半鐘の音に由来する。火事が起きると半鐘を鳴らして危険を知らせたが、鎮火すると半鐘を二度、「ジャンジャン」と鳴らすのが決まりだった。そこから、火事はもうおしまいだ、を「ジャンジャン」といい、やがて「ジャン」に略されるとともに、「(事の)おしまい」の意味が強調されて、今の用法になったものという。
お茶の子 たやすいこと。たやすくできること。もともとはお茶うけに出す茶菓子のこと。あるいは間食にとる軽い食事をいい、どちらも腹にたまらない意から、たやすいことのたとえとされた。「お茶の子さいさい」などともいうが、この「さいさい」は俗謡のはやしことばで、たやすいさまを強調するもの。
億劫(おっ‐くう) 面倒臭くてやる気が起きないときにいうことば。「おっこう」の転じたもので、「劫(こう)」は仏教語できわめて長い宇宙的な時間をいう。宇宙が成立し、破滅して無になるまでの時間をいい、「億劫」とはつまり「劫」の一億倍の時間であるから、考えるのも面倒なとてつもなく長い時間ということになる。
お年玉 新年を祝う贈り物、とくに子どもに与える小遣いをいう。古来、日本の正月は、農耕の守り神である御歳神(お‐とし‐がみ)を迎える祭りだった。門松を立てて神を迎え、鏡餅(かがみ‐もち)を供えた。正月が終わると、お供えの鏡餅を子どもたちに食べさせたが、そのお餅には御歳神の魂が宿っていると考えられ、「御歳魂(お‐とし‐だま)」と呼ばれていた。時代の変遷とともに、お餅がお金に代わっていったのである。
おはちが回る 順番が巡ってくること。とくにいやな役回りについていうことが多い。「おはち」は「御鉢」で、「おひつ」ともいい、飯びつのこと。多人数での食事で、飯びつがなかなか回ってこないことから出たことばで、本来は嬉(うれ)しい場合にいったことば。
お払い箱 不用なものを取り去ること。また、雇人を解雇すること。しかし、その語源は「お祓(はら)い箱」で、昔、伊勢神宮では毎年の歳末、壇那(壇家)にお祓いの札を配ったが、そのお札を入れる箱を「お祓い箱」と呼んだ。ところが、毎年古い札は新しい札に取り替えられるために、「お祓い」をもじって「お払い」といわれ、現在のお払い箱の語源となった。また、梵(ぼん)語〈サンスクリット〉から来た「波羅夷(は‐ら‐い)」が語源という説もある。極悪、煩悩に負けて罪を犯すことの意で、戒律を犯したものが仏法の外に捨てられることをさした。
おむつ おしめ。「お」は接頭語。「むつ」は「襁褓」と漢字で書き、「むつき」の略。「むつき」は元来は赤ん坊に着せる産着のことをさした。これから、幼児の大小便を取るための腰から下に当てるおしめに転じていったもの。
面白い 愉快な心持ち、晴れるような気分、心をひかれる、滑稽(こっ‐けい)だなどの意に用いられる。語源は一説に、目(面)の前が白く(明るく)なる感じを表す意で、もとは景色の美しさを表現することばであったという。
親玉 頭(かしら)。親分。ボス。また、芝居の座頭をほめて呼ぶ語。とくに四代目以後の団十郎の尊称。数珠(じゅ‐ず)の中心となる大きな玉を親玉といったところからで、本来は悪い意味ではなかった。
折り紙付き 保証すること。「折り紙」といっても、色紙などを使って、立体的な鶴(つる)や人形などを折る紙細工のことではない。日本古来の紙の形で、全紙を竪紙(たて‐がみ)といい、横で半分に折った形の物を「折り紙」といった。折り紙の歴史は古いが、室町のころから、公文書の類はすべてこの折り紙が使われるようになり、また、刀や美術品の鑑定書などにも使われた。すなわち折り紙はもっぱら証明書の類に用いられたわけで、のちに転じて、一般に保証することをいう。
御曹司(おん‐ぞう‐し) 「御曹子」とも書く。名門の家柄の子息(二代目)に対する敬称として用いられる。「曹司」は部屋の意で、平安時代に貴族の子弟に与えられる部屋をいい、妻を迎えて部屋を離れるまで「御曹司」と呼ばれた。源氏と平家が相争う時代になると、平家の子息は「公達(きん‐だち)」と呼ばれたため、御曹司はもっぱら源氏の嫡流の子息についていうようになった。源義経が「九郎御曹司」と呼ばれたのち、御曹司はもっぱら義経をいうようになり、そこから二代目を御曹司という用法が定着した。

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