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案山子|
書き入れ時|
駆け引き|
陽炎|
形見|
合点|
歌舞伎|
かまとと|
我慢|
皮切り|
貫禄|
気さく|
キセル|
几帳面|
気の毒|
杞憂|
牛耳る|
行儀|
切口上|
切り盛り|
釘を刺す|
草分け|
くだを巻く|
口裏|
黒幕|
毛嫌い|
逆鱗に触れる|
下戸|
下馬評|
けりがつく|
玄関|
乾坤一擲|
紅一点|
呉越同舟|
沽券|
五十歩百歩|
呉服|
誤魔化す|
五里霧中|
権化|
金輪際|
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案山子(か‐か‐し) |
藁(わら)などで人形を作り、田畑に立てて雀(すずめ)などを追い払うもの。古くは、髪の毛やぼろきれ、獣肉などを焼いて串(くし)にさし、田畑の周囲に垣根のように並べた。鳥獣の嫌う臭(にお)いを「嗅(か)がし」て退散させる方法で、いつしか「嗅がし」が「かかし」に訛(なま)ったものという。「案山子」は当て字である。
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書き入れ時 |
商売が繁盛し、最も忙しい時期をいう。かき集める意ではなく、商売が繁盛して、帳簿への書き込みが忙しい時期のことから転じたもの。
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駆(か)け引き |
売買や政治など交渉や談判の場で、相手の出方に対処して、自分に有利になるようにする策略。もとは戦場で用いられた作戦上のことば。「駆」は「駆ける」で、馬に乗って走る・進撃する意、「引」は退却で、馬を進退させること。昔の戦いは、騎馬(き‐ば)武者による矢いくさで戦われたから、指揮官の駆け引きの優劣がおおいに勝負を左右した。
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陽炎(かげ‐ろう) |
春や夏の天気のよい日に、地面や屋根などからゆらゆらと立ちのぼる湯気のようなもの。熱い空気が光線を不規則に屈折させて起こる。古くは「かぎろい」と読み、さらにさかのぼれば「かぎるひ」すなわち「限る火」で、ほのかに光るさまをいった。
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形見(かた‐み) |
過去を思い出す記念として残した品物・種。また、死んだり別れたりした人を思い出させる遺品をいう。「形見」は当て字で、本来の意味は「片見」。すなわちある品物の半分をいう。昔、心腹の友が一つの品物を半分に分けて片方ずつ所持する習慣があったことから来ているという。
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合点(がっ‐てん) |
承諾すること、納得がいくこと。「がてん」とも。また、和歌や俳句などの選で佳作に付ける点(合格点)をいい、これに由来する。
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歌舞伎(か‐ぶ‐き) |
現在では主に、歌舞伎芝居の略として用いられる。出雲阿国(いず‐もの‐お‐くに)が始めた阿国歌舞伎に発し、女歌舞伎、若衆歌舞伎を経て、男の役者が女形を演ずる野郎歌舞伎になり、江戸時代になって発展した。語源は天正のころ流行した俗語で「傾(かたぶ)く」が詰った「かぶく」の連用形。安土桃山の繁栄の時代、人目につく派手な服装や奇異なふるまいをして放埒(ほう‐らつ)をするものが現れ、「歌舞伎者」と呼ばれた。かれらの姿を踊りに取り込んで評判を得たのが、出雲阿国だった。
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かまとと |
分かっているくせに分からないふりをすること。知っているくせに知らないふりをして、かわいぶること。漢字にすると「蒲魚」。知っているくせに、蒲鉾(かま‐ぼこ)を、これは魚(とと)かと聞いた、という故事から。
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我慢(が‐まん) |
忍耐強く辛抱すること。仏教語で、もともと強い自我意識による慢心をいう。仏教は、人間の根本的な煩悩には四つあり、その一つが「慢(心の驕(おご)り)」である。そして慢には七つあり、その一つが「我慢」で、「我」は自我意識のことで、自分に執着するあまり、他人より勝っていると思う驕りをいう。のちに、我が強いことは負けん気も強いということから、堪え忍ぶ意に転じたもの。
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皮切り |
物事のしはじめ。灸(きゅう)の用語に由来する。最初にすえる灸は、皮が切られるほど痛いところから、「皮切りの灸」と名付けられた。
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貫禄(かん‐ろく) |
人物に備った威厳をいう。「貫」は銭貨を数えるのに用いる単位だが、室町時代には、武家の知行している領地の石高(こく‐だか)を表示するのに用いられていた。また、「貫」は、尺貫法の目方の単位でもあり、一貫は三・七五キログラム。戦国時代の戦闘では、重い甲冑(かっ‐ちゅう)をまとって戦うので、体重の数字がそのまま武士の戦闘能力を示す数字でもあった。「禄」は仕官するものに与えられる給与で禄高のこと。すなわち威厳とは、必然、「貫」と「禄」をあわせそなえた武士に与えられる称号のようなものであった。
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気さく |
物事にこだわらない、さっぱりした性格、うちとけやすい気軽いさまをいう。木の削りくずのような薄く軽いさま、淡泊で気軽いさまを表す中世語の「さくい」が「気さく」に転じたもの。
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キセル |
本来は刻み煙草(たばこ)を吸う道具だが、紙巻き煙草が主流になってからは、もっぱら不正乗車の意味に用いられる。本来のキセルは管を意味するカンボジア語のクシエル(khsier)が日本語化したもので、「煙管」と字を当てる。雁首(がん‐くび)・羅宇(ら‐お)・吸口から成り、刻み煙草を詰めて火をつけ、煙を吸う。管にあたる羅宇の部分が竹で、両端に金具を使ったため、入口と出口で金を使い、中途は素通りという不正乗車の代名詞になった。
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几帳面(き‐ちょう‐めん) |
隅々まで気を配り、物事をきちんと処理するさま。また、言動や性格がまじめできちっとしていることをいう。建築用語でもあり、方形の角を丸く削り、その両側に刻み目をつけたものをいう。もと几帳の柱に多く用いたことから来ている。几帳とは、平安時代の建築の間仕切りに使われたもので、台の両側に柱を立てて横木を渡し、きれいな布をかけたもの。その柱の面が几帳面で、節や傷をきれいにきちんと削り平らにつくられていた。そこから整っているさまを几帳面といい、現在の用法が生まれた。
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気の毒 |
他人の苦痛や困難なさまをみてかわいそうに思うこと。もとは、自分の心や気分に毒になることをいった。反対語は「気の薬」。つまり、自分の精神によい方向に作用するのが「気の薬」であり、悪い方向に作用するのが「気の毒」であった。これが江戸中ごろより、他人の苦痛も自分の心配の種になることから、他人に対する同情の意味に変わっていったものと考えられる。
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杞憂(き‐ゆう) |
先行きについてあれこれと要らぬ心配をすることをいう。いわゆる取り越し苦労で、中国は戦国時代の思想家・列禦寇(れつ‐ぎょ‐こう)の書いた『列子』に出てくる故事に基づくことば。杞の国にやたら心配性な男がいて、天が崩れ落ちてきたらどうしようと不安になり、寝食も忘れて憂えた、という。
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牛耳(ぎゅう‐じ)る |
ある集団や組織を意のままに操ることをいう。「牛耳」が動詞化したことばで、もとは「牛耳を執る」という。中国の春秋戦国の時代、各地に群雄割拠する諸侯同士が同盟を結ぶとき、その盟主にあたるものが牛の左耳を裂き、したたる血をすすって誓い合った。盟主がその耳を手にとって盟約をつかさどったという故事に由来する。
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行儀(ぎょう‐ぎ) |
立ち居ふるまいの作法をいう。仏教に由来する語で、「行」は行住坐臥(ぎょう‐じゅう‐ざ‐が)で、「行くこと」「止ること」「坐(すわ)ること」「臥(ふ)すこと」で、戒律にかなった日常の生活をいい、「儀」は法則の意。すなわち行・実践に関する規則で、仏道の修業のありかたをいったことば。
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切口上(きり‐こう‐じょう) |
あらたまった堅苦しい口調の紋切り型の言い方。親しみ感のない無愛想な感じのするしゃべり方。一語一句はっきりと区切っていうのが特徴で、その源は歌舞伎(か‐ぶ‐き)にある。襲名や初舞台の披露など特別の舞台があると、一幕設けて、一座勢ぞろいのあいさつが行われる。そのあいさつを口上といい、座頭のあいさつを「切口上」という。紋切り型の「切り」である。
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切り盛り |
物事をほどよく、うまく処理すること。とくに家計をうまくさばくときにいう。元来は、料理でほどよく材料を切ったり皿に盛りつけることをいった。
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釘(くぎ)を刺す |
何事か約束するときに、相手が約束を破らないようにあらかじめ念を押して警告することをいう。釘を刺しこんで強固にする意だが、語源は中世までさかのぼる。以前、日本建築は釘を使わず、材木に柄(ほぞ)穴を開けて、別の材木をはめ込んで組み立てられていた。鎌倉時代になって念の為に釘を打つようになり、それを「釘を刺す」といった。そこから、念を押す意味に転用されるようになった。
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草分け |
ある事をはじめてすること、またその人。このことば、文字通り未開地に入りこんで草を分けて耕地を開き、村や集落の基礎を築いた人のことをさした。
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くだを巻く |
酒に酔ってとりとめのないつまらないことをくどくどと言うさまをいう。糸を紡(つむ)ぐ糸繰り機から来たことばで、江戸時代のころから使われ出した。糸繰り機は、繭(まゆ)や綿などから糸を紡いで、それをより合せて、細い軸に巻きつけるが、その細い軸を「管(くだ)」という。その管を回す作業を「管を巻く」というわけだが、糸車を回すと、管がぶうぶうとひっきりなしにうるさい音を立てる。酔っ払いのくどくどしたおしゃべりが、管の立てる音を連想させたわけである。
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口裏 |
話しぶりやことばのはしばしに隠されているもの。「裏を合わせる」で、しめし合わせて同じことをいう意に使われる。もとは「口占」と書き、人のことばを聞いて、それで吉凶を占うことを意味した。なにげなく話した人のことばをもとに、戦(いくさ)の勝ち敗けなどを占ったことに由来する。
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黒幕 |
自らは表舞台には現れないが、事実上の権力を握り、かげで画策して組織や政治などを動かす人物をいう。舞台の大道具から来たことば。歌舞伎(か‐ぶ‐き)で舞台の黒幕は、夜や淋(さみ)しい場面などの背景に用いて闇(やみ)を表し、また舞台転換では、装置の目隠しに使われたりする。ここから転じて、舞台裏の闇に潜んで人びとの目をあざむく人のことをさしていった。
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毛嫌い |
明らかな理由もなく嫌うこと。もとは鳥獣が、相手の毛並みによって好き嫌いをすることから来た。とくに、博労(ばく‐ろう)の用語で、種つけの際、雌馬が、つれてきた雄馬を嫌って種つけがうまくいかないときにいわれたことばとされている。
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逆鱗(げき‐りん)に触れる |
偉い人、目上の人の怒りを買うこと。「逆鱗」とは竜のあごの下に逆さに生えた鱗(うろこ)のこと。中国の『韓非子(かん‐ぴ‐し)』に、ふだんはおとなしい竜も、逆鱗に触れられると怒り狂ってその人を殺すという故事があり、天子を竜にたとえて天子の怒りに触れることをいった。
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下戸(げ‐こ) |
酒の飲めない人をいう。一方、酒飲みのことは上戸(じょう‐ご)という。語源は古く、古代の藤原京の時代までさかのぼる。当時の日本は律令(りつ‐りょう)国家で、大宝律令によると、人びとは大戸・上戸・中戸・下戸の四等戸に区分されていた。一戸についての成年男子、すなわち労働力の員数による区分で、上戸は六~七人、下戸は三人以下であった。労働力がそのまま貧富の差につながる時代で、貧しい家は酒も飲めないだろうということから、飲酒の量に転用されたもの。
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下馬評(げ‐ば‐ひょう) |
第三者があれやこれやと勝手に言い合ううわさや批評。世間の評判。「選挙の下馬評」などと用いるが、馬が交通手段であったころ生まれたことば。馬で登城した殿を待つ家来たちが、下馬先(馬をとめておく場所)で退屈しのぎにいろいろと主人の評判をしあったことから。
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けりがつく |
決着がつく、終結すること。和歌や俳句で、句の終わりが「……けり」の形をとることが多いことから。
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玄関 |
現在では、一般に建物の正面に位置する出入口をいうが、もとは寺の門、とくに禅宗で用いられ、禅寺の入口をいった。その意は、玄妙(微妙に奥深い)の室(真理)に至る関門。室町時代に至って武家や公家の居宅に禅寺の形式が取り入れられるようになって、和風住宅建築の一様式として江戸時代に完成し、「玄関」が一般住宅の出入口をいうことばとして定着した。
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乾坤一擲(けん‐こん‐いっ‐てき) |
運命を賭(か)けて伸(の)るか反(そ)るかの大勝負をすること。「乾坤」は天地で、天は奇数、地は偶数。「擲」は投げること。すなわちさいころを一回投げて、一か八(ばち)かの勝負をすること。出典は中国の詩人韓愈(かん‐ゆ)の詩で、「誰か君主に進めて馬首をめぐらし、まさに一擲をなして乾坤をかけよ」から来ている。
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紅一点(こう‐いっ‐てん) |
一般に、男性の集団の中に一人だけ女性が混ざっていることをいうが、もとはとくに目立たない多くのものの中で唯一異彩をはなっているものをいった。出典は中国北宗の政治家王安石(おう‐あん‐せき)の「詠石榴詩」という詩の中の一節、「万緑叢中紅一点」で、一面緑の青葉の中に、一輪の赤い花が映えている、という意味。
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呉越同舟(ご‐えつ‐どう‐しゅう) |
敵・味方、あるいは仲の悪い者同士が同じ場所に居合せることをいう。本来の意味は共通の困難や障害に陥った敵・味方が、この時ばかりは協力しあって窮地を逃れようとすること。中国の呉の国の兵法家孫武(そん‐ぶ)が著した書『孫子』に出典することば。呉の国と越の国は仲が悪く争いが絶えなかった。あるとき呉の人と越の人が川を渡るのに同じ舟に乗り合わせて互いに憎み合ったが、突風で舟が転覆しそうになったときには、互いにかばいあって協力しあうものだ、というたとえ話。
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沽券(こ‐けん) |
「こけんにかかわる」という形で使われ、名誉・評判・体面などが傷つく、という意味を表す。「沽」は売る意、「券」は証文あるいは証券のことで、古代の土地財産の売渡し証文を「沽券」といった。やがて証文の意から、売値あるいは値打ちそのものの意味を持ちはじめ、江戸時代になると、人の価値はその所有財産ではかられる風潮が強くなり、「沽券」が人の値打ちや格を表すことばに転化していった。
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五十歩百歩(ご‐じゅっ‐ぽ‐ひゃっ‐ぽ) |
程度のちがいこそあれ似たり寄ったりで、結果は同じ、という意味で使われる慣用句。中国では「五十歩が百歩を笑う」という。語源は『孟子(もう‐し)』の「梁恵(りょう‐けい)王上」にある。戦場で形勢が不利になって、ある者は五十歩逃げて踏みとどまった。またある者は百歩逃げて踏みとどまった。そのとき五十歩逃げた者が百歩逃げた者を弱虫といって笑った、というたとえ話。
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呉服 |
反物の一つ。一反に仕上げてある、和服大人一着分の布地。織物の総称としても用いられるが、綿織物・麻織物を太物というのに対して、呉服は本来絹織物をいう。古くは「くれはとり」といい、中国の「呉」の国の織り方で織った絹織物をいった。「くれ」は「日暮れ」の意で、呉の国が日の沈む方角にあったことから名付けられ、「はとり」は「はたおり」の詰ったもの。呉服は呉の国の絹の衣服を作る人の意味でもあった。
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誤魔化(ご‐ま‐か)す |
人の目をまぎらわして、あざむく、目先をつくろう、その場の思いつきで嘘(うそ)をいってとりつくろう、などのありさまをいう。仏教から来たことばという説が有力である。密教に、護摩木を焚(た)いて依頼者の息災・敬愛などを本尊に祈る呪法(じゅ‐ほう)があるが、「ごま」はそこから来たもの。それを「護摩をたく」あるいは「護摩す」といった。また、密教僧に無理難題な呪(のろ)いを依頼する者も多く僧たちはもっともらしく「護摩す」が、もちろん効能など現れない。そんなようすをたとえて、「ごまかす」というようになったという。
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五里霧中(ご‐り‐む‐ちゅう) |
事情や状況がのみこめず、どうしてよいのか見当もつかないようす。また、心の迷いから考えの定まらないありさまをたとえていう。「五里霧の中」。五里四方にも渡る深い霧の中にいて、周囲がまったく見渡せない意だが、出典は『後漢書(ご‐かん‐じょ)』の中の「張楷(ちょう‐かい)伝」。張楷は道術(仙術)が好きで五里四方の霧を湧(わ)きたたせたという故事から。はじめは自ら姿を消して、他人を迷わせる意味だった。
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権化(ごん‐げ) |
ひとつの思想や観念など、抽象的な対象に仮の形を与えて、具現化あるいは類型化したもの。「悪の権化」「誠実の権化」などという。もともと仏教語で、「権」は「仮のもの」、「化」は「化身」の意。すなわち仏が人びとを救済するために、仮に人間の姿になって、この世に現れることをいう。その後の神仏習合によって、日本の神はすべて仏の権化と考えられるようになり、また一般の用語にも取り入れられるようになった。権現(ごん‐げん)とも。
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金輪際(こん‐りん‐ざい) |
通常、あとに打消をともなって、「けっして」「どんなことがあっても」「絶対に」など、否定を強調する意に用いられることば。「金輪際ごめんだ」などと用いるが、もともと仏教語で、地層の最深部、無限に深いことをいう。仏教の宇宙観から来ることばで、(人間の住む)この世は風輪という大気の層の中にあり、陸や海はその下の金輪の上にある。金輪のいちばん深いところが「金輪際」で、その下にはもう何もない世界の果てだ。世界の果てまでいってもありえない、という意から起きた用法である。 |