
第5回 言葉の路地裏歩きを愉しむ装置
泉麻人(いずみ・あさと)
作家・エッセイスト
2003年12月8日
先頃、当社(三省堂)から『泉麻人のなつかしい言葉の辞典』という著書を刊行した。この本は、主に僕の子供時代(昭和30年代)、巷に流布していた“俗語”の類いを思いつくままにあげて、言葉の背景に回想される往時のエピソードなどを書き綴ったエッセー集である。
たとえば「ウンダワ ウンコロモチ ウネモト ウネジ ……」とか「オス メス キス パンツ脱げ」とか、辞書に載っていない子供まわりの囃し文句、みたいなのも多いのだが、なかには辞書にフォローされているものもある。今回『三省堂 Web Dictionary』を使って、いくつかの言葉を検索してみた。
まずは、僕らがカン蹴り遊びのときによく使った「ポコペン」なんてフレーズ。オニになった子が、逃げ隠れした仲間の誰かを見つけたとき、「ダレダレ君見っけ、ポコペン」と唱えてカンを踏む。この「ポコペン」、僕はてっきり“カンを蹴るときの擬音”あたりからきたフレーズ、と思っていたのだが、辞書にはこんな解説が載っている。
ポコペン【不
本】
〔中国語。元値に足りない意〕だめだ。話にならない。
(『スーパー大辞林』より)
「不
本」なんて字をあてる中国語が由来とは、辞書をひかないとわからないことだ。しかも、ダメな状態を表す意味だったとは …… おそらく当初は中国と戦争をやっていた時代の“悪口言葉”の類いで、もとはオニになったマヌケな奴自体に向けられた言葉だったのではなかろうか …… 推理がふくらむ。
「ぼうふら」という言葉も著書のなかでとりあげた。無論、これは蚊の幼虫の俗称で、いまもいるにはいるけれど、ぼうふらがウヨウヨ湧く防水鉢なんかは町角から消えて、どことなくなつかしい印象の言葉となった。
「ぼうふら」を検索してみて、面白かったのはその漢字の綴りである。「孑孑」とか「孑
」といった奇妙な字を使うようだ。これは本来、孤独や孤立 …… という“単身”の状態を表す字だから、ウヨウヨ群れているぼうふらの生態とは似つかわしくない。が、この字、よく見ると格好がどことなくぼうふらを思わせる。意味より形状から、この字があてられるようになったのではないだろうか。
『スーパー大辞林』には「ぼうふらおどり【孑
踊り】」というのが収録されていた。「歌舞伎舞踊で、体をぼうふらのようにくねらせる滑稽な踊り」。孑
踊り ―― うーん、字を眺めるだけで、くねくねした滑稽な踊りの様子が伝わってくる。
では、このウェブ辞書を使って、最近の言葉を検索してみよう。インプットされている『スーパー大辞林』には、市販のアナログ辞書にはフォローされていない新語も、随時更新(掲載)されているという。
試しに「超」「きもい」あたりを検索してみた。「超」には通常の解説に加えて、「現代の若者言葉。すごく。とても。」とあり、「―むかつく」「―うまい」の用例が付いている。「きもい」の方は「(主に若者言葉で)気持ち悪い。」とある。
よくフォローしている …… とは思ったが、多少不満はある。たとえば「超」はもはや、「すごく、とても」などの単なる強調表現ではなく、若者が何の気なしに喋り言葉に織りまぜる“飾り”のようなものになっている。(“超”でもないのに“超”といってしまう)
また「きもい」の方は、僕が若い頃(およそ30年前)は、「肝い ⇒ 大事、重要」という意味合いの俗語だったのだ。その辺の詳細な解説が、もう少し欲しいところである。
とはいえ「きもい」と検索したとき、「肝煎り」「肝煎宿」なんていう、並びの言葉が一緒に出てくるあたりが面白かった。このウェブ辞書を使う若者が「きもい」をきっかけに、「肝煎宿」などの古語を知る …… そんな使われ方をされたら、とてもいい。国語辞典に限らず、故事ことわざ、地名、和英 …… と、様々な辞書コンテンツが収容されているから、1つの言葉を発端に、たやすく“横道”に外れることができる。
マウス片手に“言葉の路地裏”歩きを愉しむ。これはそういう装置だ。
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