
第2回 「生きた辞書」を望む
野崎昭弘(のざき・あきひろ)
数学者[計算機科学]
2001年7月5日
「辞書は生きている」と言われる。初版が出てもそれで終わることがなく、改訂に改訂を重ねて、よりよいものが構築されて行くからである。しかし媒体が「印刷物」である限り、成長はきわめて遅い。簡単な誤植でさえ、次の印刷を待たなければならない。その点インターネット上の電子辞書であれば、リアルタイムの改訂が可能である。実際、インターネット上に「読者のページ」があれば、誤りの指摘が即時に行われるし、編集部としてのチェック体制が動きはじめれば、正しい指摘を本文の修正に反映させるのも、迅速に行われるはずである。それこそ「生きている」と言える辞書の、ほんとうの姿なので、誕生したばかりのこの『e辞林』が、そちらの方向にどんどん成長してゆくことを、大いに期待している。
内容ばかりではない。検索のしやすさについても、「生きている辞書」は成長してほしい。私の経験では日本のシステムは遅れていて、アメリカのシステムの親切さになかなか及ばないように思うのだが、どうだろうか。私が時々使う図書検索システムでは「アメリカ」と入れたら「アメリカン」も拾ってくれないし、綴りの間違いは絶対に許されないが、アメリカのシステムでは綴りの訂正ぐらいはちゃんとやってくれた。そういえば1965年という大昔、MITかどこかで「Mary Poppinsを探したらMarie Curieまで拾ってくれた」システムに出会ったことがある。そこのソフトは“Mary”と“Marie”が「近い関係である」ことを知っていたわけで、わたしは大いに感心した。日本語のシステムでは、たとえば「清音と濁音をまちがえても検索してくれる」アイデアは、「電話番号の案内システム」などですでに実用化されていて、けっこう役に立ちそうな気がするのだけれど、私が直接使っている情報システムではまだあまり見たことがない(医療システムである方が思いついて成功したようであるが、今その方のお名前を確かめられず、ご紹介できないのは残念である)。
インターネットの時代は、「個人が誰でも情報を発信できる」すばらしい時代のように言う人もいるが、それだけ「無責任な情報の氾濫する」時代でもあり、「ダウンロードしただけで、何かがわかったような錯覚に陥る」困った時代でもある。そういうときに、インターネットのよさを活かした「信頼できる、生きた情報源」がどこかにあることはたいへんありがたいことである。
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