ことば百科

日常語の語源

【た行】

醍醐味| 大衆| 大丈夫| 台所| 高をくくる| 黄昏| 蛇足| 立往生| 駄目| 段取り| 茶番劇| 茶碗| 中元| チョンガー| 一日| 司る| 付き合い| 月並| 付け焼き刃| つじつま| つつがなく| 爪弾き| 泥酔| デカ| 手ぐすね引く| 手塩にかける| 出鱈目| 手前みそ| 峠| 堂に入る| 土壇場| とどのつまり|

醍醐味(だい‐ご‐み) 深い味わい。本当のおもしろさ。物事の神髄などをいうことば。「醍醐」とは仏教を通じてインドから伝わったことばで、古代で最高に美味なる食物のことをいった。牛乳から製する食品で、乳、酪、生酥(しょう‐そ)、熟酥(じゅく‐そ)のプロセスを経て、最上の乳製品である醍醐ができるわけである。その製法の過程を悟りを開く過程、すなわち仏教の最高真理にたとえ、「醍醐のような最上の教え」を醍醐味といった。
大衆(たい‐しゅう) 一般に多くの人をさすことば。民衆と同義語だが、民衆が非特権階級という意味合いをもつのに対して、労働者・農民など一般勤労階級を広くいうことば。仏教から来たことばで、仏教では「だいしゅ」と読み、仏教に帰依した多くの僧をいった。はじめは僧一般をさしていたが、天台宗で役職につかない学僧をとくに「大衆」と呼ぶようになってから、天台座主(ざ‐す)ら高僧に支配された僧の意味合いが生じ、現在の大衆の語源となった。
大丈夫(だい‐じょう‐ぶ) 危なげないようす、しっかりしているようす、確かなさま、まちがいないことの形容などいろいろな意味合いで用いられる。本来の意味は「立派な男子」のこと。「丈」は長さの単位で、現在は十尺(約三メートル)に相当するが、中国の周の時代は八尺で、一尺は約二二・五センチメートルであったために、一丈は約一・八メートル。そして当時は一丈が普通の男子の身長とされていた。そこで普通の男子を「丈夫」といい、とくに立派な男子を「大丈夫」といった。また、「丈」には強くしっかりしている、という意味もあり、そういう男が「丈夫」でもあった。
台所 家の中で食物を調理する部屋、ないしはスペース。お勝手・厨房(ちゅう‐ぼう)とも。また、転じて家計のやりくりについてもいう。語源は平安時代の「台盤所」にさかのぼる。「台盤」とは食物を盛った盤(大皿)をのせる四脚の台のこと。「台盤所」とは宮中で台盤を扱うところ、すなわち料理する部屋のことで、清涼殿の中にあり、そこには女房が詰めていた。中世になると武家や農家でもかまどのある部屋を「台所」と呼ぶようになって一般化した。
高をくくる たいしたことはないと思って相手をみくびることをいう。「高」は分量の「多寡(多い少ない)」にも通じるが、収穫高などの「高」。「くくる」は「括る」で、ひとまとめにすること。昔、武家同士の戦闘では、兵力はその領地の広さ及びその石数(生産高)に基づいていた。養える分しか動員できないからである。そこで戦闘に際しては、相手の領地の石数(生産高)を計り、その石高を括って兵力を割り出し、勝てる見込みがあれば戦いを仕掛けたのである。そこからもっぱら相手をみくびる意味で一般化して使われるようになった。
黄昏(たそがれ) 夕暮れ。夕方の薄暗いとき。古くは「誰(た)そ彼(かれ)」と書き、人のさまの見分けにくいときの意をいった。これから夕暮れ時をさすことばに転じた。一説には、農夫が田から退いて宿に帰る意で、田退(た‐そかれ)の意とするものもある。
蛇足(だ‐そく) 余分なもの。なくてもよいもの。中国の『戦国策』(劉向(りゅう‐きょう)選)にある次のような故事に基づく。ある集まりで、蛇の絵を早く書き上げたら酒を飲めるという話が持ちあがった。最初にできたものが酒を飲もうとしながら蛇に足を描き加えているうちに、他の者が書きあげ、「蛇に足などない」と言って、その酒をとって飲んでしまった。先に蛇の足を書いた者は、酒を飲み損なってしまったという話。
立往生(たち‐おう‐じょう) (列車などが)途中で止り、目的地まで行くことも戻ることもできない状態。また、どうしていいか分からず、その場に立ち尽くすこと。語源は有名な「弁慶の立往生」に由来する。源義経と弁慶の主従が藤原泰衡(やす‐ひら)に攻められた衣川(ころも‐がわ)の決戦で、力尽きた義経は自害し、弁慶は一歩も退かずに討手を睨(にら)みつけ、立ったまま死んだという。「立往生」の本来の意味は、立ったまま往生する(死ぬ)ことであった。
駄目 やってもしかたのないこと、努力してもできないこと、やってはいけないこと、役に立たないこと、などをいう。もともと囲碁の用語で、勝負が終わったときにどちらの陣地にも属さない目のこと。囲碁は自分の石で碁盤の目を囲み、陣地を作ることで戦うが、自分の石の列と相手の石の列のあいだに一列の空きができると、囲みようにも囲めない死に目となってしまう。そういう目を「駄目」というのである。この語が一般にいろいろな局面で使われだしたのは、中世のころからだという。
段取り 物事を段階を追ってやっていく手順。もと、歌舞伎(か‐ぶ‐き)の楽屋用語で、芝居などの筋の運びや按配(あん‐ばい)のことをいった。
茶番劇(ちゃ‐ばん‐げき) 底の見えすいたばかげた出来事、すぐばれてしまう狂言芝居のたとえ。語源は江戸時代に歌舞伎(か‐ぶ‐き)の大部屋役者が大入りのご祝儀で茶菓子をふるまったことに由来するという。茶を煎(せん)じる役の意で、茶をふるまうだけではなく、その場にある品物を手にして、身振りで滑稽(こっ‐けい)な仕草を演じたことから。
茶碗 昔は陶磁器の総称であったが、今は茶をついだり飯を盛ったりするための陶磁器をいう。語源は茶道にある。鎌倉時代のころまでの食事は、木や土器の器に飯もおかずもいっしょに盛り切りにされていた。やがて飯とおかずが別盛りにされるようになり、茶道の普及とともに、茶をのむ器に飯を盛るようになった。それを「茶碗」と呼んだ。
中元 中元の時期にする得意先や世話になった人への物品の贈答、またその品。語源は古く、古代中国の道教の祭礼に基づくもの。中国では正月十五日を上元、七月十五日を中元、十月十五日を下元といって徹夜で祭りが行われたが、日本に伝わると、そのうちの中元が、仏教の盂蘭盆会(う‐ら‐ぼん‐え)と結びつき、お盆の行事が生まれた。また日本独自の民間行事に年の半分の節目を祝って世話になった人へ贈り物をする習慣があり、それとも結びついて「中元」の贈り物が定着することになった。
チョンガー 独身の男子。独り者。最近では、サッチョン(札幌+チョンガー)など、単身赴任男性の俗称にも造語として使われている。朝鮮語で丁年(てい‐ねん)(二十歳)前の男子の髪形の名。丁年を過ぎても未婚でいる男性の蔑称(べっ‐しょう)として用いられた。「総角」と表記する。
一日(つい‐たち) 月の第一日のこと。「月立ち」の転といわれる。「たつ」は現れる、出現するの意味。月の満ち欠けを基準とする陰暦では、日の沈んだのちに新月がはじめて出現する日が月の一日である。朔(月のはじめの日の意)という漢字を当てる。これから月の上旬のことも、朔というようになった。
司(つかさど)る 「掌る」とも書き、担当する、取り行う、支配するなどの意。「つかさどる」は「つかさ」を行うこと。「つかさ」は役所とか官職・役人をさし、ここから、高い位置にいて人に命令をする役目のことをいうようになり、現在のような意味になった。
付き合い 交際すること。人と人の交わり一般をいう。室町時代に連歌が流行した。次々に句をつないで連歌を作ることを「付合(つけ‐あい)」といった。また、連歌の集まりを「付合の会」といい、それが略されて、訛(なま)ったのが「付き合い」で、人と人全般の交わりをいうようになった。
月並(つき‐なみ) 型にはまっていて平凡なようすをいう。「つきなみ」は「月次」とも書くが、これは毎月決まってその事をすること、すなわち定例月次のように毎月決まっているものをいう。明治の時代になって、正岡子規を中心とする新俳句運動が、旧態依然としたそれまでの俳句を「月並俳句」といったところから、変わりばえのしないことを「月並」というようになった。
付け焼き刃 力のないものがあるように見せかけて、その場をごまかそうとすること、また、にわかじこみの勉強で、急場をしのごうとすることをいう。語源は鍛冶(か‐じ)の用語から。丈夫で切れ味のよい日本刀を作るには、地金を槌(つち)で何度も打って鍛練しなければならない。鍛え方の足りない地金に表面だけ鋼(はがね)の焼き刃を付けたものは、見た目には変わらないが、弾力不足で折れやすい。そういう刀を「付け焼き刃」といったことから。
つじつま 一貫すべき物事の始めと終わり、一致すべきところが一致するはずの物事の道理をいう。「つじつまが合わない」と使えば、前後が一貫しない、合うべきはずなのに他の人の話と食いちがっている、などの意。漢字で書くと「辻褄」で、「辻」も「褄」も裁縫の用語。「辻」は縫い目が十文字に合うところ、「褄」は着物の裾(すそ)の左右が合うところ。すなわち裁縫の状態がきちんと合っているという意味。
つつがなく 病がないこと、無事なありさま、いつもと変わりないようすをいう。漢字で書くと「恙無く」だが、「恙」とは漢語では「よう」で、草の中に住んでよく人を噛(か)む毒虫、というが、これは病気や禍(わざわい)の原因を「恙」という架空の毒虫に象徴させたもの。「恙」を筒型の虫という意で「つつ」と日本語読みし、「恙が無い」という話しことばにしたもので、古くから無病息災をいうことばであった。
爪弾(つま‐はじ)き のけものにすること。仲間外れにすること。物事が思いどおりにいかなかったとき、また、嫌悪の気持ちがあるとき、爪先を親指の腹にかけてはじくのが「爪弾き」である。語源は密教の「弾指(だん‐し)」という行法にあるという。こぶしを強く握ってこぶしの中心に力を集め、人差し指を一気に抜くと、親指が中指に当たって音を立てる。これが弾指である。この音には魔よけの効果があるされ、平安時代に呪術(じゅ‐じゅつ)として流行した。弾指で「魔をよける」意が、今に伝わったものである。
泥酔(でい‐すい) ひどく酒に酔って、正体がなくなること。「泥」は虫の名前で『異物志』という中国の文献の中に、南海にすむという空想上の虫で骨がなく、水中にいるときは活発だが、水を離れると酔って正体をなくし、泥の塊(かたまり)のようになってしまうという虫、と記されている。ここから泥虫のように酔っ払うことを「泥酔」といった。
デカ 巡査や刑事を呼ぶ隠語。明治時代の刑事は、角袖(かく‐そで)の着物を着ていたため、的屋などの業界用語では刑事は「カクソデ」と呼ばれていた。こうした隠語は、読みをひっくり返して使われる場合が多いが、「デソクカ」ではあまりにも言いにくいということで、中をはしょって「デカ」になったもの。
手ぐすね引く じゅうぶんに用意して機会のくるのを待つありさまをいう。漢字で書くと「手薬煉引く」で、「薬煉(くす‐ね)」とは、松脂(まつ‐やに)と油を交ぜて練り合わせたもので、弓の弦の補強剤。昔、武士たちが弓の弦に丹念に手で薬煉を引いて、戦いを待ったことから出たことば。
手塩にかける その者がまだ何も分からないときから、一対一で教育し、一人前に育て上げること。一生懸命面倒をみたり丹精をすること。昔、好みに応じ食物にかけるように食膳にそなえられた少量の塩のことを手塩といったことから由来することば。
出鱈目(で‐たら‐め) 「出鱈目」はまったくの当て字。さいころを振って出たら、その出た目にまかせるの意。何の目が出てもかまわないことから、いいかげんなこと、無責任なことをいうようになった。
手前みそ 自分で自分をほめることをいう。戦前まで、味噌(み‐そ)はおおむね自家製であった。各家庭がそれぞれわが家の味の味噌を作って互いに自慢し合った。そこから出たことば。
峠(とうげ) 峠はわが国で作られた漢字(国字)。「とうげ」は「たむけ(手向け)」の変化したものといわれる。峠を越えるときは、旅人が峠の神に手向けをしてまつり、旅の安全を祈ったからである。
堂に入(い)る 物事のやり方が手慣れていて見事なさまをいう。『論語』にある「堂に昇り室に入る」から出たことば。「堂」は中国の建物で表の客間、「室」はその奥座敷。つまり「堂に入る」とは、堂に昇りそして奥の部屋に入る意で、学術や技芸などを、その道の奥まで極めたことをいう。
土壇場(ど‐たん‐ば) 物事が決定しようとする最後の局面。土を盛り上げた場所で、すなわち江戸時代の首斬(き)りなどの斬罪(ざん‐ざい)の刑場。そこに引き出されたら助かる見込みなど万に一もないところから、絶体絶命の崖(がけ)っぷちの意に転じたもの。
とどのつまり 途中いろいろ紆余曲折(う‐よ‐きょく‐せつ)あったが、最終的には行き着くところに行き着いた、ということを表す。多く否定的あるいは平凡な結果についていう。語源は魚の「ぼら」。「ぼら」はぶりなどと同じく成長の途中に名前を変えていく成長魚で、「おぼこ」「すばしり」「いな」「ぼら」と名前を変え、最後に「とど」の呼び名で終わる。そこで最後を意味する「とどのつまり」ということばが生まれた。

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