ことばパティオ

第3回 Web Dictionary の宇宙を逍遙して

紀田順一郎(きだ・じゅんいちろう)

評論家・作家

2002年6月7日

 電子辞書の時代となってから、辞書を引く楽しみはいよいよ深くなったような気がする。

 たとえば英語で最も長い単語ということで知られる
 “floccinaucinihilipilification”
を《三省堂Web Dictionary『グランドコンサイス英和辞典』》で検索してみると、ただちに「 n. 〔まれ〕 無価値とみなすこと, 軽視.[「価値の全く[ほとんど]ない,ささいな」の意のラテン語の要素flocc-, nauc-, nihil-, pil-を合わせたもの;長い単語として引き合いに出される語]」という、すこぶる明快な語釈が得られる。私は中学生時代、ある英和辞典で「浮雲視する」という語釈を見つけたはいいが、その意味がどうしても理解できず、往生したことを思い出す。

  国語の教師に訊ねたところ、それは存在感の薄い、軽いもののたとえで、何でも『論語』に出てくるということだった。『論語』で確認するには至らなかったが、高校生になってから二葉亭四迷の『浮雲』を手にとったのは、このことが念頭にあったからだろう。存在感の薄い主人公内海文三は、まさに浮雲というに相応しいように思われた(ただし、作品論でこの標題の意味を追求したものは見あたらない)。

 それはともかく、インターネット検索で英語で最も長い単語を探してみると、ほかにも
 “supercalifragilisticexpialidocious”
 “pneumonoultramicroscopicsilicovolcanoconiosis”
 “Llanfairpwllgwyngyllgogerychwyrndrobwllllantysiliogogogoch”
などがあるようだ。最初の単語は《三省堂Web Dictionary『グランドコンサイス英和辞典』》に「a. 子供が英語で最も長い語として言うことば,あるいは『すばらしい』の意味で用いる」とある。二番目は病気の名前で「珪性(けいせい)肺塵(はいじん)症 ((石英などの粉塵を吸い込んで起こる肺の病気;英語で最も長い単語の一つ))」とある。三番目は残念ながら通常の辞書には出てこないが、ウェイルズ北部の村名であることは、インターネットの検索エンジンにかければただちに判明する。日常は略称で呼ばれているようだが、同名のドメインが「世界一長いドメイン名」として存在している。

 こうした雑学的な落ち穂ひろいは、私の場合、格好の執筆材料となるわけだが、最近感じることは紙の辞書と電子辞書との大きな相違である。紙の辞書を「引く」ものとすれば、電子辞書は「操る」ものである。「たどる」に対して「探す」という性格も強い。

 検索を「かける」ということばは、紙の辞書には使わない。1つあるいは複数のキーワードの網を掛けて、目的の情報をつかまえるという語感であろう。それも、水も漏らさない精緻な網をかけるのではなく、とりあえず粗い網をかけてみるというような、軽い語感である。「FAXを流す」というような、電子時代特有の気分を表しているようだ。

 もう1つは、辞書の“人格性”が希薄になったことだ。戦後二十年目ぐらいだったと記憶するが、当時刊行されはじめた一冊ものの国語辞典の内容見本に、川端康成の「この辞典は生涯、私の師友となるだろう」という意味の推薦文があったことを記憶している。辞典の編纂ということが、学者の一生を賭した仕事であった当時、辞典そのものに一種の人格性が賦与されるのは当然であった。辞典が教師や友であるという感覚は、いまの人にはないだろう。

 しかし、辞典には軽快なツールであることも重要である。半生を辞典とつきあってきた私のような世代は、紙の辞書の限界もそれなりに痛感してきた。Web Dictionaryの全文検索で、一つの語彙や概念を立体的、縦断的に追う場合など、紙の辞書にない知的なスリルを覚えるのは私だけではあるまい。今後の電子辞書の進歩から目を離せないと思う昨今である。