ライターというのは、その名のとおり、情報を書いて伝えていく職業です。そして、日々、言葉と格闘しています。今日は、そんな言葉をめぐる徒然を書いてみることにしましょう。
時々、自分が過去の時代に生まれていたらと想像することがあります。江戸、平安、あるいは奈良時代あたりならばまだしも、大昔の、文字がなかった頃に誕生したならば、どうなっていただろうかと。
文字のない時代には、すべての情報は口伝、つまり、音声によって伝え残すことが普通でした。今の自分のメインの肩書きは「テクノロジーライター」ですが、講演などを頼まれてプレゼンテーションやスピーチを行うこともあります。もしも、文字がない時代に生まれていたなら、「物を書く」という行為自体が不可能なので、「テクノロジースピーカー」と名乗っていたかもしれません(実際には、そんな外来語すらなかったわけですが…)。
さて、ご存知のように、「声」というのは、かなりの曖昧さを含んだ情報伝達の方法です。日本語に同音異義語が多いのも、意味を表す漢字の数に比べて、音の数が圧倒的に少ないためと言えます。
たぶん、読者の皆さんも、日常会話において、会話の内容すべてが明瞭に聞き取れているわけではなくとも、話の流れや状況から判断して、情報を適宜補なったり、相手の意図を推測して理解するようなことを、無意識のうちに、かなりの頻度で行っているのではないでしょうか。
たとえば、外国でその国の言葉を話す場合にも、正確な発音にとらわれるより、それっぽく聞こえるように話すほうが通じたりします。アメリカの入国審査で 「 What is your purpose of your visit? 」(渡航目的は?)と尋ねられたときに、無理に 「 Sightseeing (for) 10 days. 」(10日間の観光です)などと答えるよりも、「斎藤寝具店です」と言うほうが理解されやすいという話は良い例でしょう。これも、相手が状況を踏まえ、意味をなすように解釈してくれるからに他なりません。
いっぽうで、ある言語圏で外来語が取り入れられるときには、その言語で発音しやすかったり、すでに定着した外来語の発音に引っ張られる形で、改変されてしまうことがあります。
その意味から、個人的に気になるのは、カメラの接写を意味する「クロースアップ」(close-up)が「クローズアップ」になったり、マッサージなどでゆったりした気分になる「リラクセーション」(relaxation)が「リラクゼーション」と呼ばれていることです。前者は、開/閉状態を意味する「オープン/クローズ」あたり、そして後者は、自動車の大衆化現象を指す「モータリゼーション」などの影響を受けた、和製の発音と思われます。そのように間違って濁っている発音を、カメラメーカーやホテル、さらにはマスメディアが採用した結果、アッという間に普及し、誰も疑問を持たずに使うようになりました。
逆に、本来は化粧品を意味する「コズメティックス」(cosmetic)の省略形が、なぜか日本では「コスメ」になっている事例もあります。おそらく、つづりが「cosmetics」なので、最初にこれを使ったコピーライターなどが、本来の発音を知らずに「s」を「ス」と読んでしまったのか? あるいは、美容のための製品なので「コズメ」のように濁音が混じるよりも「コスメ」のような清音だけのほうが、イメージに合っていると考えたのか?
「th」のような日本語にはない発音や、冠詞や複数形の「s」を省くのは、日本語と英語の言語構造の違いがあるので目をつぶるとしても、「クロースアップ」や「コズメティックス」のような、とりあえずカタカナで表記可能な発音を変えてしまうことには、違和感を禁じ得ません。
アメリカの大リーグのチーム名も然り。「ヤンキース」(Yankees)を筆頭に、「ドジャース」(Dodgers)、「タイガース」(Tigers)、「カージナルス(Cardinals)」、「ブレーブス」(Braves)、「パドレス」(Padres)などの「ス」は、実際にはすべて濁って発音されています。それどころか、全30チーム中、最後が「ス」と発音されるのは、4チームしかないそうです。夜間試合を指す「ナイター」(英語では「a night game」)などの和製英語が英語教育において問題視されることはありますが、こうした「和製発音」も、それに劣らず厄介な存在だと感じています。
とは言え、自分の執筆分野でも、商標登録の関係でアップル社の「アイフォン」(iPhone)が「アイフォーン」になったり、そもそも英語では「コンピューター」(computer)や「プリンター」(printer)のように音引きになる発音を、「コンピュータ」や「プリンタ」と表記するケースも多かったりして、灯台下暗しと言われそうです。
後者は本来、平成三年の文部科学省の告示(※1)である、内閣告示第二号(※2)において、「er」「or」「ar」などで終わる単語は、原則として、「コンピューター」や「プリンター」のように、末尾の長音符号(※3)を表記することになっているのですが、なかなか定着していません。
それは、JIS(日本工業規格)の表記に関するガイドライン「規格票の様式及び作成方法(JIS Z 8301)」(※4)で、JISに規定されていない用語の読みに関して、2音以下の場合は長音符号を付け、3音以上の場合は長音符号を省くことを原則としたためです。
長音符号を省けば文字数を減らせるので、メモリや外部記憶装置の容量が少なかったときには、それが一般的でした。しかし、考えてみると、技術の制約から表記に制限を加えるという暴挙に近い話でした。最近では、読み上げソフトでテキストを読み上げたときにわかりづらいという指摘もあり、アクセシビリティの観点から、音引きを付ける方向へのシフトも見られます。
最終的には世の中の流れ次第というところもあり、出版社ごとに表記ルールも異なるので、最終的な調整は編集者に委ねることになりますが、ライターは常にこのような「言葉の海」を漂っているのです。
(2010年7月1日)
※1 【告示】
国家や組織団体などが、それに属する人びとに、命令・要望・訓戒や新たに決めた事柄などを広く知らせること。また、その命令など。(新明解国語辞典より)
※2
平成三年 内閣告示第二号「外来語の表記」内
「留意事項その2(細則的な事項)」内
「Ⅲ 撥音,促音,長音その他に関するもの」内
「3 長音は,原則として長音符号「ー」を用いて書く。」において、
「注3 英語の語末の‐er,‐or,‐arなどに当たるものは、原則としてア列の長音とし長音符号「ー」を用いて書き表す。ただし、慣用に応じて「ー」を省くことができる。」と記されている。
※3 【長音符号】
長音符。ここでは「音引(き)」と同意で、その直前の母音を長くのばすことを示す記号。
※4
JISの「規格票の様式及び作成方法(JIS Z 8301)」内
「原語(英語)の語尾の長音符号を省く場合の原則」において、
「a) 3音以上の場合には、語尾に長音符号を付けない。」
「b) 2音以下の場合には、語尾に長音符号を付ける。」等が定められている。
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