ことばパティオ

連載「世界ことば巡り」 第3回(全12回)


連載 「世界ことば巡り」 西江雅之 第3回 母語と母国語


   「母語」と「母国語」。このふたつの語は、まったく異なる意味を持っている。しかし、その用法は、新聞、テレビ、雑誌などでさえ、混同されている例が多く目につく。

   「母語」とは、生後数年間のうちに、話者が生活環境のなかで自然に身につけた第一言語を言う。言語獲得で赤ん坊に最大の影響を及ぼすのは母親とは限らないので、実際は、赤ん坊の身辺でいちばん、係わり合いが多かった人びとから受け継いだ言語という意味である。他方、「母国語」とは、話者が国籍を持つ国で、「公用語」または「国語」とされている言語である。

   「公用語」とは、国で法的に有効な根拠となる言語をいう。インドのような多言語国では、20近くもの言語が公用語に制定されている。多くの国では、ひとつ、あるいはふたつの言語を公用語としている。いっぽう、「国語」という単語は、曖昧に用いられる場合も多い。公用語を指すこともあり、国の中で共通語として広く用いられている言語を指すこともある。

   日本では、人口の圧倒的多数の者が「母語」も「母国語」も日本語であるとされる。しかし、世界の多くの国々では、母語で話せるのは家庭内や近隣でだけで、一歩社会に出たら、母語とは異なる公用語での生活者となる。公用語で教育を受け、仕事をするという環境で生活する。また、多くの場合、母語は文字化されていないために、母語で話せば簡単に通じるはずの知人に手紙を書くにも、公用語に頼らなければならない。

   最近日本でも、幼年期からの海外生活が長くて、その土地での言語は普通に使いこなせるが、母国語である日本語は少しばかり苦手である、という人が現れてきている。すなわち母国語ができないために、帰国後の生活に支障をきたしているのである。そうした例は、社会問題の一例である。

   また、日本国に生まれ育っても、日本語がよく身に付かないという人もいる。すなわち母語が身につかない例である。それは、何らかの点で身体上の問題に起因するもので、話題は医学の一領域に属すものである。
(2009年6月16日)
ことば巡り
南太平洋に位置するタヒチ島はフランス領。
人びとの「母語」はタヒチ語だが、「公用語」「国語」はフランス語である。




西江 雅之(にしえ まさゆき) 1937年東京生まれ。専門は文化人類学・言語学。現在、アジア・アフリカ図書館館長。著書に『花のある遠景』(福武書店)、『伝説のアメリカン・ヒーロー』(岩波書店)、『「ことば」の課外授業―“ ハダシの学者”の言語学1週間』(洋泉社)、『異郷日記』(青土社)、 『アフリカのことば』(河出書房新社) など。


「世界ことば巡り」のバックナンバーはこちら